第1話・・・また一人「スパークするギターばか」が生まれたのです | |
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「キャー!ギター弾けるんだ!いつからギターを弾いているの?」
などと、むかし合コンなどで女の子によく聞かれましたが
「そんなむかしのことは覚えちゃいない」と答え
「どんな曲をひくのぉ。今度聞かせてよぉ!」
と聞かれれば
「そんな先のことはわからない・・」
と映画「カサブランカ」のボギーのように寡黙なギタリストを
演じていたこともありましたが
実際は今想うと良くわからないのです。
たまたま、家にクラッシックギターがあってそれをぽろりと弾いた
のがきっかけでしょうか。小学校3年生のときだったと想います。
父親がギターをかじっていたために、ギターが家にあったのですが
教則本も何冊かあって、その本を見ながら弾いていたのを
想い出します。
教則本はもちろんクラッシックギターの教則本。
でもクラシックに興味は無くてもっぱらフォーク。
年上のいとこがギターを弾いたりピアノを弾いたりして
いたのが影響していると想います。
当時、いとこたちが弾いていたのは
あまり覚えていませんが「チューリップ」や「井上揚水」だったかなと。
そのためわたしもフォークソングにのめり込んでいいきました。
当時「明星」や「平凡」と言うアイドル雑誌があってそこに毎月
「歌本」がついていました。そこにコード進行が掲載されていたので
よく弾いていました。
いろいろな曲がありましたが
「因幡晃」の「わかって下さい」はよく弾いていました。
Em⇒Amと言うコード進行がなんともマイナーで
「涙で文字がにじんでいたなら、わかって下さい・・・。」
などと深い意味もわからずに歌っていた小学生でした。
そしていろいろ聴いているうちによりフォークにのめり込んでいって
「かぐや姫」と「イルカ」をよく聞くようになったのです。
その頃、「かぐや姫」と「イルカ」の
かなりの曲を練習した記憶があります。
当然、ミーハー少年だったので、「かぐや姫」の格好、つまり
当時のフォーク青年たちの格好。そうGパンはラッパで長髪。
あこがれました。
当時の自分の芸名?は「中坂俊節」。
「中」は今も大好きなTVドラマ「俺たちの旅」の「中村雅俊」の「中」。
「坂」は「イルカ」の本名の「保坂」の「坂」。
「俊」は同じく「イルカ」の本名「トシエ」と「中村雅俊」の「俊」。
「節」は「かぐや姫」の「南こうせつ」の「節」。
と訳がわかりませんですね。
特に覚えている曲は「かぐや姫」では「加茂の流れに」「雪が降る」
「イルカ」で言えば「サラダの国からきた娘」など。
でも当時の18番はなんといっても「22才の別れ」でした。
あの3フィンガーは難しかった。
「22才の別れ」はカポを3フレットにつけます。
出だしがGmなんですがカポをつけることによってEmになるという
ことに驚きつつ弾いていましたが
家にあったのはクラッシックギター用のカポ。
ゴム止めではなくてネジのように糸を巻きつけて閉めていくもの。
カッコが悪いとフォーク用のカポを買ってきたのはよかったのですが
フォークギターのフレットは若干丸くなっているのに対して
クラッシックギターはまっすぐ。
カポを加工したのを覚えています。
小学校の5年生か6年生の時に各クラスで学級放送番組を
創ると言う企画があり、わたしのクラスは
各人が作文を読むと言う企画でした。その作文をクラスメートが
読んでいるバックでギターをBGMとして弾いていたのが
考えてみれば人前で弾いた最初だったと想います。
「22才の別れ」を何回も弾いたのを覚えています。
レパートリーがそんなに無かったのですね。
しかも、フォークソング。当然歌はありませんので伴奏だけ。
今考えると変な感じですね。
クラッシックギターでもやっていたら、もっとBGMっぽかったですね。
そういえば、その頃父親に「1曲弾いてみろ」と言われて
「かぐや姫」の「星降る夜は」を弾いたことがあります。
これも当然伴奏のみなので、曲が良くわからなかったらしく
父親に「クラッシックギターを学べ」みたいなことを言われたような
記憶があります。
でもクラッシックギターへは行かず、フォークにのめり込んで
行きました。そしてギターのみならず、シンガーソングライター
にも興味を持ち始めました。そう作詞、作曲です。
初めての曲はギターを弾き始めてすぐ。曲名は「少年記」。
左手はほとんど使用しない究極のソロ曲でした。
というほどのものではありませんが。
あとは、ませたようなフォークソングを創ったりしていました。
しかし、あるときを境に、フォーク少年だったわたしのギター人生は
違う展開へと動いて行ったのです。
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